高津宮|大阪|縁切り坂と縁結び坂。仁徳天皇の宮跡は断層が造り出すパワースポットである!
高津宮は、大阪市中央区高津にある神社である。古社ではあるが延喜式神名帳に記載が無い式外社であった。
しかし、明治以降は府社として格付けされ、さらに戦後には、旧官幣社と同格に等しい「別表神社」の一つに数えられた。まさに、大出世といえよう。
鎮座地は周囲よりも一際高く、どの方向から参拝するにも石段を登ることになる。
その石段は「縁切り坂」や「縁結び坂」などと名づけられており、縁切りや縁結びのパワースポットとして話題になっている。
また、昭和30年代から、境内や隣接する高津公園にソメイヨシノなど約100本の桜が植えられた。高津宮では毎年3月下旬から4月上旬にかけて「桜まつり」が催されて、多くの花見客で賑わうそうだ。
高津宮について
高津宮 概要
- 所在地 大阪市中央区高津1丁目1番29号
- 電話番号 06-6762-1122
- 主祭神 仁徳天皇
- 創建年 866年
- 社格 式内社(大社)県社
- ご利益 縁結び、縁切り、家内安全、商売繁盛、子宝
- 公式HP http://www.kouzu.or.jp/index.html
高津宮 アクセス
MAP
最寄り駅
- 地下鉄谷町線・千日前線の「谷町9丁目駅」
駐車場
- なし
崖の下に路上駐車するのはやめて頂きたいものだ。コインパーキングに駐車して頂くようお願いしたいと思う。
高津宮の創建
創建は866年。清和天皇の勅命により古代の都「難波高津宮」の遺跡を探索したとき、「その宮跡」に社殿社殿を造営したのが始まりとする。
「その宮跡」というのが、実は明確ではないのだが、有力な説としては「難波宮旧跡」を中心とする馬場町あたりであろうとする説だ。
他にも、今の大阪城の場所だという説や、第八連隊兵営跡だとか、坐摩神社行宮あたりだとか諸説ある。
さてその後、時を経て、豊臣秀吉による大阪城築城の際に、現在地である比売古曽神社境内に遷座した。当の比売古曽神社は高津宮の境内摂社となり地主神として祀られることとなる。
祭神
主祭神は、難波高津宮を造営した「仁徳天皇」。
左座には、祖父「仲哀天皇」・祖母「神功皇后」・父「応神天皇」。
右座には、后「葦姫皇后」・長男「履中天皇」を祀っている。
富くじ(宝くじ)
ここ、高津宮は、上方落語「高津の富」の舞台である。
淀屋橋のみなみ大川町にあった宿屋に「鳥取の大金持ちだ」と大ホラ吹きまいて宿賃を踏み倒そうとする男がやってくる。大金持ちと言った手前、宿のおやじにすすめられた富くじを断り切れず、なけなしの一分でくじを買ったところ、その富くじが千両当ったからアラ大変、、、
公式HPより
富くじの抽選会場となっていた高津宮では、正月のとんど祭りで「昔ながらの富くじ」を開催しているらしい。
高津宮に参拝してから宝くじを買うと、当たるかもよ。
そのほかにも、いくつかの落語の演目に登場する高津宮。昔から多くの人々が集う賑やかな宮であったため、題材にされてきたのであろう。参集所は「富亭」という落語会を行う場にもなっているほどだ。
今日も近隣のオフィスビルで働く人たちであろうか、境内で弁当を食べている男女で賑わっている。
人が自然と集まる場所、これもパワースポットの目印・証しであろう。
高津宮の参道
地下鉄谷町9丁目駅を降りて谷町筋を北上。一つ目の角を左(西)に曲がると下り坂となる。うっかり、この角を行き過ぎると緑色のビルが見えてくる。
この緑色のビルには若い頃よくお世話になったものだ。。。このビルが見えたら行き過ぎた印。引き返そう。
話がそれたが、その下り坂の途中右手に鳥居がある。表参道入口だ。
高津宮公園
鳥居をくぐると、真っすぐに参道が伸びており、その両側が公園になっている。
いい公園だ。しばし、公園のベンチに座って目を閉じる。
柔らかい空気に満たされおり、癒されること間違いない。ここは穴場だ。
梅乃橋
これは、梅乃橋という。上町台地の湧水が川となってこの下を流れていたらしいが、現在、川は無い。この川は梅川と呼ばれていて、道頓堀へ流れ込んでいたらしい。
その名の通り、このあたり一帯は梅の名所として知られていたとのこと。
大阪名物「粟おこし」のパッケージの梅マークは、大阪天満宮の神紋の梅ではなく、ここの梅の花が由来だとも言われている。
ここから、神域へ入る。
本殿とその周囲
拝殿
階段を上がると、正面に拝殿。南向きである。
賽銭箱の向こう側まで入れるので、本殿間近で祈ることができる。荘厳・厳粛な空気感がみなぎっている。
庶民の生活を案じて徳政を行ったという神話に基づき、ご利益は「家内安全」が第一だと私は思う。
縁切り坂
前述したが、高津宮は上町台地・上町断層の上にあり、西側に大きな段差がある。段差があるから坂がある。
というわけで、西側から境内に上がるには、急な階段を登ることになる。
明治初期は北西の角に坂道があり、それが「三曲がり半」であったことから、
「三曲がり半」⇒「三下り半」⇒「離縁状」と連想され、「縁切り坂」と呼ばれた。
これではイメージが悪かろうということで、現在は「悪縁を切る」と表現している。ちなみに、現在は曲がっていない。
縁結び坂
明治の後期、西側の斜面に別の坂道が2本作られた。
その坂道とは、段差下から見たら二等辺三角形になっている。「相合坂」と名付けられ、男女がそれぞれ左の階段からと右の階段から登る。斜面の途中でその左右の階段が合流する。
合流地点でうまく合えれば、二人の相性は良いとする。よって「縁結び坂」ともいう。
比売古曽神社
本殿の左手には、この地にもともといらっしゃった比売古曽神社がある。現在は地主神として祀られている。
地元のおじさんは、この摂社「比売古曽神社」のみ参拝して帰っていかれた。よく知っていらっしゃる。地主神様こそ、この地域の守り神なのである。
延喜式神名帳に記載ある式内社で、その中でも一際格式高い「名神大社」に格付けされている「摂津国 比売許曽神社」の論社にもなっている古社である。
祭神は下照比売命か、あるいは阿加流比売神か。議論の分かれるところだ。
この摂社の右手に、桂文枝師匠の石碑がある。私はあまり興味がない。
仁徳庭園
本殿裏側に続く路地は「仁徳庭園」への入口になっている。本殿右側に回り込むと、極めて小さい庭ではあるが、参道の梅乃橋のミニチュアのような庭が設えてある。ベンチがあるので、しばしの休息をとる。
本殿と高倉稲荷の社に挟まれたこの空間、思いのほか「よい気」である。言い換えると、気持ちがいいということになる。隠れパワースポットである。
ふと思うに、ここが一番の高見ではないだろうか。
そうそう、ちょうど本殿裏の中央に、拝所が作られていた。本殿裏の拝所は私の好むところ。なぜかというと。得した気分になれるからである。小さい自分。。。いやいや、強いパワーを感じる確率が高いからなのだが。。。
高倉稲荷神社
ここから先は、朱塗りの社が続く。まずは、高倉稲荷神社。
「商売繁盛」「芸能の上達」の祈願に、多くの人の崇敬を集めている。ここも「高倉狐」という落語の舞台である。
非常に綺麗にされている。こうあるべきである。
しばしば、摂社の稲荷社にまで心配りが行き届かない神社を目にするが、あれは残念だ。
安井稲荷神社
そのとなりには、安井稲荷神社。「安産守護」と書かれてある。こちらも同様、綺麗に清められている。
さてさて、高倉・安井の両稲荷神社の間に、鳥居があり、先には下り階段が見える。
崖下の末社
そのくだり階段を下りていくと、、、
今までの明るい空気感とは一線を画す別世界がここに広がっている。ひとことで言うと「陰気」。湿っていて暗い雰囲気だ。
谷末社
祭神は、白菊(草野姫命)、千年(大市姫)、常高(大山祇)の三大神。
- 草野姫命は、大山祇の妻。別名「野椎神」。和歌山の日前宮摂社「深草社」にも祀られている。
- 大市姫命は、大山祇神の娘で、須佐之男尊の二番目の妻。大歳神と倉稲魂命をもうけた姫神。
- 大山祇神は、有名な山の神。
市場の繁栄と、子宝のご利益を求めるのである。
陽石と陰石
そして、斜面の中腹には、陽石と陰石。男性と女性を表しているらしい。
いずれにしても、子宝のご利益を求めていることは間違いないであろう。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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